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モルモン書  文化遺物か、策略か?

 

1993年2月、 BYU で催された、 生命、宇宙そしてその他全てについての シンポジウムで発表されたスピーチより引用

 

モルモン書は私の人生において最も重要な本です。エマ・マー・ピーターソン作の児童向けバージョンに始まり、それは私が一番始めに読んだ本の一つと記憶しています。その白黒の挿絵は、 白黒のイラストのあるべき姿として未だに私の中に残っています。モルモン書自体を読める歳になってから、何回も何回もそれを読みました。

 

これは私の文体にも現れています。どうして私の文のほとんどが「そして、それから、しかし」で始まっているのか不思議に思った人がいるならば、モルモン書の「そして〜した。」を思い出していただければ、それがどこから来たかは理解いただけると思います。ご覧の通り、ある文章が重要なものであれば、私は本能的にそれを接続詞で始めなくてはと感じるのです。

 

しかし、その影響は文のスタイルより、遥かに深いところにあります。モルモン書のおかげで私はBYUに導かれました。私の高校時代の成績はとてもよかったので、希望すればどの大学へでも行けたのですが、私は BYUにだけ入学志望を出しました。なぜならば、私は当初考古学者になり、モルモン書の研究をしたかったからです。私にとって、モルモン書を、実際に世界で起こった事項をたずさえた古代文書として真剣に取り扱わない学校に行くメリットは全くなかった訳です。

 

後に考古学の仕事は予想以上に大変なものだと分かってあきらめてからも、モルモン書は私の人生を変え続けました。モルモン書の中のイベントを演劇化したものを見に行った時、私はBYU演劇学部の生徒でした。観客席に座り、「あっ焦点がずれている、ここで最も重要な所が彼女には見えていない。」と思いました。そして、同じ箇所の演劇を私のバージョンで書きたいという思いに駆られ、出来上がったのが、BYUのアリーナシアターでチャールズ・ウィトマンの指揮により上演された私の劇作第一号『背教』です。あの演劇が私の作家としてのキャリアの出発点でした。

 

以降の私のBYU生活は執筆活動の半分をモルモン書内の他のイベントを劇化する事に費やされました。BYU卒業後何年も経ってから、私はモルモン書の最初の6作のアニメバージョンをリビングスクリプチャーズ社の為に作りました。そして、数年前、ブラザレン社よりヒルクモラ・ペイジェントを書き換えるよう依頼を受けました。彼らは既存のスクリプトを全く無視し、モルモン書に還り、 この本の本来の最も重要な点を表す、明確で理路整然としたストーリーを 非教会員観客の為に、表現してほしいというものでした。私は長い間この本を探求し、分析し、ドラマ化してきました。

 

ですから、私にとっては、私が『地球の記憶』 『 地球の呼び声』 『The Ships of Earth』の『Homecoming ホームカミング』シリーズを書くのもまさしく自然の成り行きと思えるのです。これらの本はまさにモルモン書を劇化したものです、ただ、サイエンスフィクションの設定にする事で、直接のドラマ化では不可能な登場人物や社会の謎の究明を自由にできるというだけです。

 

モルモン書の部分的な要素は私のほかの本にも現れています。例えば『赤い予言者』のティピーカヌーでの集団殺人は明らかにモルモン書から取られています。時には私のモルモン書への依存は無意識のうちに起こります。マイケル・コリングズが指摘するまで全く気がつかなかったのですが、私の最初の小説『神の熱い眠り』の中頃に出てくるナレーションなどはまさしくニーファイの小さい版より取り出された本のナレーションを思い出させます。

 

簡単に言えば、私は何回も、何回も、モルモン書を探求し、その井戸から水を汲み続けました。しかしながら、どれだけ水を汲み取ってもその井戸は満ち満ちています。

 

モルモン書とは何か?

 

モルモン書には、それがこの世に現れるまでの経過の解説があります。ジョセフ・スミスはどのようにしてこの本を手にしたかを私たちに語りました。あなたもそのお話を知っています。一晩のうちに天使が3回も彼の寝室を訪れたのです。その後、彼が柵をのぼろうとしていたときに再度現れました。なんとしつこい天使でしょうか!

 

天使の指示に従い、ジョセフ・スミスは近所の丘へ行き、古代文明の文化遺物彼の知らない言語が書かれている金版を掘り出したのです。

 

4年間毎年その丘を訪れた後、ジョセフ・スミスはその版を手に入れ、特別な道具を使って、記述者にその本の言葉を書き取らせる方法で翻訳を始めて行きました。その翻訳のプロセスに関する証人も、翻訳に関わった人々の証言もあります。3人の証言者は天使からその版を見せられ、その本の神聖な特質についても証言しています。他の8人の証人は実際に版を手にしてそれが本当に存在した事を証言しています。

 

予言者は翻訳した後その版を天使モロナイに返しました。ですから、その版は今私たちには見る事ができません。

 

ジョセフ・スミスの説明は真実であるかそうでないかしかありません。その版を見たという証言者達は嘘をついているかそうでないかのどちらかなのです。

 

もし彼の説明が真実であれば、モルモン書はその趣旨通り古代著者により書かれた古代人の記録であり、ジョセフ・スミスの役割は、モルモン書を私たちが読めるように与えてくれた翻訳者外の何者でもありません。ですから、翻訳者の、つまり1820年代のアメリカ人の影響を、その本の中に見いだせるはずです。つまり、言葉の選択が意識的にもしくは無意識に、モルモン書の中の出来事を、彼自身や当時のアメリカ人が理解できるように、 本中に見られるアイデアを当時存在したであろうコンセプトに当てはめながら、できるだけ明確な言葉使いで表されていたはずです。

 

または、彼が解説したようにモルモン書を受け取っていなかったとすると、誰かが1829年代のアメリカ合衆国でこの本を作ったという事になります。この場合、この本はフィクションで、 著者としてジョセフ・スミスまたは誰か他の人の影響が見られるはずです。この場合、この本にあるアイデアや出来事は全て1820年代のアメリカ人の思考から出て来たものであるはずで、1820年代のアメリカ人が古代記録として発表しようとして偽造するときにするであろう様な事が全面にわたって出ているはずです。

 

聖典・・・

さて、もし、モルモン書が聖典であれば、誰がかいたのでしょうか。最初の部分はニーファイという男性によって書かれています。おそらく老年になって、人生を振り返りながら、自分の子孫にどうして彼らは神に選ばれた民であるのかを書いたのでしょう。度重なる彼の兄弟の子孫との戦争の記録の中に、彼の民の正当さと敵の罪悪性が多分に 編み込まれているはずです。これはどう見ても、部分的な歴史書でもなければ、自伝書でもありません。それはとても選択的です、なぜなら、それは神が彼と彼の家族とどのような関係にあるかを示すように作られています。それには彼のお気に入りの聖典と彼にとって一番大切な事項についてのコメントが含まれています。彼は明確な、記録上にも現されている、選択された読み手があります。

 

次に出てくる著者はニーファイの弟ヤコブですが、彼はエルサレムの記憶は全くなく、その市の文化との関連もあまりありません。彼は兄ニーファイにつく熱心な使途であり、当時の民衆に向かって書いており、そして彼も未来の人類にとっての聖典の重要性を認識していました。

 

そしてヤコブの息子、イノスが自分の証を述べるのですが、ここで彼はヤコブと同じような、その文化の先生かつ指導者的な立場をとってはいません。その後、ジャロム、オムナイ、その他と、時には一節だけと著しく短い記述で数人の著者が続きます。これらの著者はマイナーで、弱く、 影響力もあまりありません。 この古代歴史書を受け取るにふさわしいと、彼なりに考えた王に彼の記録を渡す事を、正当化する記述をした最後の著者に至るまで、量にしてはほとんど無いも同然の少ないものです。

 

ところが、これ自体、ジョセフ・スミスの文化には存在しなかった事です。1820年代のアメリカ文化では、古代歴史書を王に渡す事はしません。王と古代歴史書とは全く関連がないからです。ジョセフ・スミスの自らの行動、つまり、翻訳作業におけるマーティン・ハリスの援助を引き続き必要としたジョセフは、ハリスを王、大統領、もしくは誰か政治的な指導者にではなく、学者に会うように勧めたのが、よい例です。

 

その次に出てくる著者はモルモン書の大半を占める著者、モルモンです。 彼は、若いときから軍隊のリーダーである大佐であり、戦いの男、そして神の勇士でした。文中にはその反映が見られるはずです。彼は自分の民が崩れ、滅びていくのを目の当たりにし、国が滅びてしまうまでに及んだいきさつを、思いめぐらせていたに違いありません。人生の大半、彼の意思とは反対に、彼は自分の民に説教をする事を許されてはいませんでした。そのかわりに、彼は多大の時間を古代歴史書の収集および要約に費やしました。しかしながら、その著書はおそらく彼の説教をしたいという欲望を反映することでしょう。

 

モルモンの言葉からモルモン自信の書に至るまで、彼は古代歴史書、予言、自伝、その他の人々による説教を要約しました。あなたは彼の著書の中に、その短縮および要約した他の人々の記録を見るでしょう。そして同時に、その中に“彼ら”の態度や思いをそれぞれの本の中に見いだすはずです。 加えて、彼が手を加えずに載せた記録を書いた人々の声、もしくは少なくとも彼らの言った事を書いたはずの声が聞こえるでしょう。何が本に含まれているかを見るときに、彼の優先順位と関心点を見つける事ができます。

 

そして、私たちはモルモンの息子である著者モロナイに出会います。彼の記述量は少ないですが、彼は列記とした予言者であり、軍の総督でもありました。彼は父の仕事を手伝い、実にモルモンの名祖となる本を仕上げたのです。もしかしたら、私たちは彼の声に、ここそこで知らないうちに出会っているかもしれません。彼は父親の死後、一人で記述を続けました。そしてこの本は、ほとんど私たちの時代まで見通した彼の証で締めくくられます。そして、彼が、復活した後ジョセフ・スミスを版に導く為に現れた人なのです。

 

もう一人とても大切な著者、エテルがいますが、モロナイによって要約されたものしか私たちの手元にはありません。基のエテルの書も、実はモルモン書の他の部分の時代の文化とは全く関係のない、もっと以前の古代歴史書の要約および短縮でありました。エテル、モロナイ、そしてジョセフ・スミスの三人の知覚と影響という三枚のフィルターを通してはいますが、当時の文化の跡を見つけられるはずです。

 

ここで取り上げているのはとても複雑な文化遺物です。

 

もしモルモン書が聖典であるならば、これらの人々はその本の著者になります。

 

・・・それとも詐欺

もしモルモン書が文学であれば、1820年代のアメリカ人、おそらくジョセフ・スミスが、少なくとも3つの違った文化その中の全てが、50年目の開拓時代のアメリカとは全く違ったーを反映させながら、本に登場する人物によって書かれた様私たちを信じさせる為に偽造したと考えられます。

 

ここで私がお話しするのは、モルモン書の偽造についてです。なぜなら、偽造に限りなく似た事こそ、私達サイエンスフィクション作者がする事だからです。しかしながら、ほとんどの場合、私たちは他文化の書物を書くようなまねはしません。そのかわり、アメリカのサイエンスフィクション作家は、20世紀のアメリカ人が20世紀のアメリカについて書いている事を明確にします。しかしながら、時にはサイエンスフィクションもしくはファンタジー作家が他文化から来た様に趣旨した作品を書く事があります。その原文がその他文化からとって書かれているように見せているか否かに関わらず、ほとんどのサイエンスフィクション作家は、まだ誰も見た事のない、歴史上初めての文化を作品内で提示します。私たちは架空の土地、架空の文化について書きます。もし、モルモン書がフィクションなら、ジョセフ・スミスまたは他の誰かが同じ事をしたに違いありません、つまり、誰も見た事の無い架空の文化を作り上げたに違いないのです。

 

他文化の遺物を趣旨する様に書く事ほど複雑で、難しいサイエンスフィクションはありません。なぜならば、それは慣れないものについて書くだけではなく、書いている内容自体も慣れないものだからです。そして、一人ならともかく、修辞学上違ったスタンスに立つ複数のナレーターを抱えるとなると、これはとてつもなく難しいことです。彼らそれぞれの視点も違うでしょうし、性格も違うでしょう、それに、時の流れに従って、文化も変わってくるはずです。ですから、同じ文化でも、始めの著者と終わりの著者では、何か違いがあるはずです。

 

ですから、ここで挙げているのはほとんど試みられる事のない、ましてや、著者が普通の記録書として世に出そうとするような場合では、まず試みられる事の無いプロジェクトなのです。私たちの様にサイエンスフィクションを書くものでさえ、『フィクション』という文字を表紙に載せて出版する事はありません。作家の名前を表紙に載せ、自分たちの発明能力に対する評価を我がものにしようとします。この物語は『見つけたものだ』などと言うような事はまずしません。

 

しかしながら、この判例はあります。1760年代に、古代ケルト詩集を発見し、翻訳したと自称する、ジェイムス・マックファーソンによってスコットランドの詩人オッサンが発見されました。彼の作品は当時の人々に、列記とした古代書物として受け止められました。当時は、特にイギリス、アイルランド地方に源をおく古代書物を発掘するという考えが、大変好まれた時代でした。それは新しい作品は古い作品ほど人々の尊敬を得る事はなかった時代だったので、もし新しい作品を古い作品と偽って世に出す事ができるならば、より多くの人々の注目を浴びる事ができたのです。マックファーソンはそんなに優れた詩人ではありませんでした。しかし、オッサンは彼よりも以前つまり文化の遅れた時代の人だったので、それを考慮すると、彼の詩は当時に書かれたにしてはかなり洗練されたものだったのです。

 

マックファーソンは当時の人々が、古代ケルト詩がこうであってほしいと願っていたまさにそのものを作り出したのです。ところが、同時にそれはとても話にならないほど間違ったものでした。ほんの短い間にその嘘が暴かれました。ほとんどの人々がマックファーソンを信じましたが、サムエル・ジョンソンは生涯にわたってマックファーソンを偽造罪で非難しました。そして、マックファーソンは偽造罪を論駁する事はしませんでしたが、同時にその詩集の原本を提供する事もしませんでした。しかしながら、彼は1796年に死去するまで、議会の一員としての座を保ち続けました。もちろん現代ならば報道陣はジョンソンの起訴をとり讃え上げ、マックファーソンを早死にするほど心配させた事でしょう。しかし当時はもっと注意深い時代でした。

 

しかしながら、今日オッサンの作品を見ると、それは明らかに18世紀のイギリス人の作品である事が分かります。それは古代スコットランド作家からは、どう考えても出てくる事のないものでした。それは明らかに嘘であり、基本的に無学な時代の人々をかろうじて騙せる程度のものでした。

 

文化的混乱

 

もしそれが詐欺であるとすれば、ジョセフ・スミスのプロジェクトはマックファーソンのそれに比べると、とてつもなく野心的なものでした。作品は遥かに長く、複数の著者による長期の作品でした。皆さん、これはまさしく崖から飛び降りるようなものです。彼の作品は今日の人々にとってみれば各ページに詐欺である証拠があふれているはずです。なぜならば、どんなに注意深い語り手でも、自分の本性や住んでいる社会等をどこかでうっかり白状してしまうものだからです。どんなに気をつけて努力しても、どんなに知識のある学者であっても、もし自分の文化意外のものについて書くとき、無意識のうちにする全ての決断において、自分がその文化内の者でないという証拠を見せてしまいます。それでありながら、本人は自分の想像範囲外の思考が無いので、偽造の証拠を見せている事すら気がつきません。

 

優秀なサイエンスフィクション作家でさえ、このような間違いはおかしますが、それ以上うまくできるはずが無い事を知っているので、読者はそれを許します。彼らは、ただ多文化の記録を翻訳しているようなふりはしません。彼らの探しているのは読者であって、信者ではないのです。

 

サイエンスフィクションは、それが書かれた世代が一目で分かります。それは誰にでもできる事です。言葉の習慣一つをとってみてもそれがよくわかります。1950年代に見られる著作スタイルは1960年代以降のサイエンスフィクション界のそれと全く異なります。ウイリアム・ギブソン以降の著者はたいてい『Newromancer ニューロマンサー』によって影響を受けています。聴衆に受け入れられた語り聞かせのモードの変化によって、その時代時代の影響を目にする事ができるのです。

 

さらに、私たちは近代の事項について先入観を見つける事ができます。1950年代のサイエンスフィクションは共産政府やナチへの恐怖を反映している要素が数あります。1960−70年代になると、反文化グループの言及や、自由主義が力強く頭を持ち上げ始め、 ドラッグカルチャーの反映、そして 以前には全く見られなかった関心事や価値観が見えてきます。

 

サイエンスフィクションでは、科学的知識も時代が変わるにつれて変化します。今では、金星の空気を吸ったりする事を書く人は誰もいません。

 

そして最も大切な事は、文化から来る先入観です。少しここでサイエンスフィクションから足を踏み出してみましょう。『アイ・ラブ・ルーシー』の古いエピソードを見た事のある人はいますか。あの番組の中の夫と妻の(全般的な男女間における)関係には 少なくとも私は大変な不快感を与えられます。実は、あれは50年代においても大変不快なものでした。子供ながらに、私はルーシーが好きではありませんでした。なぜなら間彼女はとてもバカだからです。また、彼女の夫も好きにはなれませんでした、なぜなら、彼は妻をろくでなしのように扱ったからです。しかし、当時その番組がその事で話題にされなかった事から見ても、明らかに、私は妻と夫の関係において、当時の大半のアメリカ文化とは違った見解を持っていました。

 

しかしながら、『奥様は魔女』位まで、最近の番組の中ではフェミニスト活動以前の、許しがたい習慣の跡が見られますが、作品を書いている50−60年代の著者たちは、自分たちの作品の中に、当時特有の文化があふれている事には毛頭築いていないのです。彼らは70年代以降の読者も、彼らの作品の内容が理解できるように、女性の扱い方を変えるべきである事は、毛頭思いもつかなかったのです。男女間の関係がまさか当時のそれから変化するとは、彼らは夢にも思わなかったのです。アメリカの黒人と白人関係が登場する1930−40年代のフィクションにも同じ様な傾向が見られます。いくら、当時リベラルで開けた思考を持ち、忍耐強く、反人種差別を信じる人であっても、今日のフィクションでは、考えられない様な態度と社会的役割に黒人をおきました。30−40年代の作品を読むときに、作者が全く軽率に、悪気のない方法で、黒人を『彼らの位置』に置いているのは、一目瞭然で分かります。当時は白人が黒人を知的にも社会的にも対等に扱う時代がくるとは、思いもつかなかったのです。そして、黒人が白人と結婚をし、その後、人々に受け入れられるという事は最もリベラルな人々の間でも考えもできない事でした。

 

今日に置いても、私たちは疑問すら抱こうとも思いつかない様な先入観を持っています。例えば、資産の所有権は時代の流れによって変わりやすいものなのですが、それにも関わらず、フィクションの中では、人々は物を所有し、時が経っても所有し続けると想定されています。私たちは死んでからも資産に対する所有権をコントロールする事が出来、それを子孫に残す事が出来るという様な、馬鹿げた想定を持っています。全く持って、なんと言う馬鹿げた観念でしょう。しかしながら、フィクションの中では疑問すらも抱かれてはいません。(もちろん、今私がこうして疑問視したので、あなたはそれについて気に留めるようになるでしょう。しかし、この時点に置いてもあなたたちのいくらかは、資産が他のどのような方法で扱われる可能性があるのかも考えつかないでしょう。あなたは1990年代のアメリカ文化にどっぷりと浸かってしまっていて、教義と誓約を理解する事すら出来なくなっているのです。)

 

私たちは他の先入観も持っています。例えば、職業はその人のアイデンティティーと関係があるものと想定してしまいます。あなたは誰ですか? 私はエンジニアです。 彼は何ですか? 彼は医者です。多くの他文化においては、このような質問に対して、職業で答えるなど思いもよらない事です。答えはおそらく家族、民族、都市、または役割を反映するでしょう。あなたの職業はあなたにどんな関係があるのでしょうか。 しかしながら、現代のアメリカ人によって作られた作品では、職業が人物を表す最も重要な要素である事を、改めて疑問視する事はまずありません。

 

私たちには、正式な教育とは何か、それがどれほど必要か、それが何の為なのか、誰がそれを習得するべきなのかという様に、教養についての先入観もあります。私たちは家族関係についてや、人生の中で特別な家族関係がどれほど重要になってくるか、等の推測もします。今日のアメリカでは、フィクションに出てくる重要人物に、直系の家族以外の家族が含まれる事はあまりありません。いとこ?どうしてわざわざお話にいとこが登場する事があるでしょうか。そして、もし祖父母が同居している場合は、普通ではないと扱われ、それについてのコメントがあるはずです。

 

近代のフィクション作家たちは、それが過去30年の間にいろんな点で多大な変化を遂げているにも関わらず、私たちの文化に存在する基本的な道徳を疑問視する事もありません。他の文化では受け止められていない様な沢山の事柄を、私たちは当たり前のように受け止めています。最近読まれたフィクションの中で、著者が、お互いに好意を持っている二人が、出来る限り早い機会に肉体関係を持つという事を、想定しない様な作品はどれくらいあったでしょうか? そして、もし二人が肉体関係を持たない場合は、大抵が、まだ存在する他の相手にたいする義理からであり、婚姻関係外での性行為に対する道徳的な壁による物では決してありません。

 

もしこれがサイエンスフィクションであったなら、もしこれが1820年代の文化遺物であったならば、モルモン書も、1950年代のアメリカが『アイ・ラブ・ルーシー』の毎分から溢れ出ているように、似た様な文化的なヒントが、1820年代のアメリカが全てのページに色濃く浮き出ているはずです。

 

言葉

 

言語や単語の選択レベルに置いても、もちろん、翻訳書類のモルモン書は純粋にジョセフ・スミスのはずです。それは1820年代の彼レベルの教養を備えた人が、聖典とはこうであろうと思う文体を反映しているはずです。そして、もちろん彼がその本を提供しようとする人々に、聖典として受け入れてもらうならば、予言者がそうでなくてはならないと承知していた通りの、完全なキング・ジェームスバージョンの声の模造を私たちは手にしている訳です。偽物であれ、本物であれ、モルモン書には『それ』が必要です。そして、偽物であれ本物であれ、予言者が正式な古い英語を書こうと試みる過程で、教養のなさがあらわになるはずです。実際の所、数々の文法ミスと古語文型の誤用があり、改訂を重ねた現在のモルモン書に至ってもそれは残っています。

 

しかしながら、これはそんなに驚くべき事ではありません。なぜならば、それは彼の自然な口語体の声ではないので、翻訳者は間違いを繰り返すのです。このような言葉を使う人は彼の周りには一人としていません。彼はその文法が分からないので、文法的な間違いがかなりあります。デイビッド・ウィットマーの様に、ウリムとトリムから一語一語翻訳文が出て来たと信じる人々はとても幻滅してしまうでしょう。さもなくば、神様がそのような恥ずかしい文法的な間違いをおかした事を責めている事になります。デイビッド・ウィットマーが教会を出たのはこれが究極の原因です。彼は神様が啓示をジョセフに一語一語与えたと信じていたので、ジョセフが事前に与えられた啓示を編集することができるという考えをどうしても飲み込めなかったのです。しかしながら、ウィットマーの翻訳作業に対する視点は間違っていました。インスピレーションの過程がどう行われようとも、ジョセフ・スミスは彼の頭の中に既にある言葉の範囲でしか、それを表す事は出来なかったのです。モルモン書が偽造品であろうと本物の翻訳本であろうと、それはジョセフ・スミスの言語を反映するでしょう。

 

ですから、言葉自体は1820年代のアメリカ人が理解できる(もしくは誤解できる)、特に1820年代のジョセフ・スミスの教養レベルの言葉が使われています。ある程度、彼の個人的なしゃべり方も反映していますが、全面にわたってではありません。どの翻訳にでもある様に、語彙のパターン、語順、翻訳を生き残った原語独特の慣用語的な表現等が翻訳者の言葉を新しい形や方向に曲げるはずです。ですから、モルモン書の中には慣れない異邦の語彙パターンがジョセフ・スミスの聖典的に聞こえる様に仕上げようとする努力に垣間見える事は予測すべきです。私よりももっと優秀な学者たちが既にジョセフ・スミスの翻訳のこのような要素を探求しましたし、私は自分の専門から離れたエリアないに入っていこうという考えは毛頭ありません。(サイエンスフィクション作家としてこのような事をする場合、私は容赦なく偽造をします。ぞんざいの域を超えて物語の語り手に自分とは異なった語り方をさせる様な努力はこれっぽっちもしません。)

 

しかしながら、言葉とは離れた地点で、作者自身の文化を自白する事なく物語を語る事は、実際のところ不可能と言ってよい程、サイエンスフィクション作家もしくは大変注意深いサイエンスフィクション読者だけが知る所の、困難な部分があります。

 

アメリカ文化とモルモン書

 

もしモルモン書が偽物であれば、1820年代のアメリカ人が何をその本の中に入れると予測すべきでしょうか?

 

失われた民族

一つ必ず推測すべき事は、モルモン書をまだ読んだ事のない人々が、その本が何であるか推測する事と同じ事です。彼らは、それは失われた十部族の本だと推測します、なぜなら、それはジョセフ・スミス時代の文化が絶対に作り出したであろう物だからです。その事について誰もが関心を持っていました。インデアンがイスラエルの失われた部族ではないかという思索がよくされていました。どうしてジョセフ・スミスはその線で行かなかったのでしょうか。どうして1820年代のアメリカ人が、BC600年にユダ王国から誰かが逃げ出したなどと、とんでもない話を作り上げるでしょうか。 それは、失われた十部族が注目の話題であった当時のアメリカの宗教とは、何の関係もないものです。また、それは失われた十部族についての本でもないのです。さらに極めつけが、もしジョセフ・スミスがわざと世論をからかっていたのであれば、本文の中で、これが失われた十部族の本ではない点を書き記しているはずなのです。ところが、このような全ての予想に反して、失われた部族についてはほとんど記されておらず、それは肯定的にも否定的にも本中の物語にはほとんど関係がありません。

 

女性

もう一つ、1820年代の本で予期するべき事は恋愛についての関心です。これは冗談ではありません。その当時の自伝と歴史は恋愛に焦点が置かれていました。聖書にまで、恋愛物語が沢山書かれています。ルツとボアズ、ヨセフとマリア、アブラムとサライ、イサクとレベッカ、ヤコブとレイチェル、ダビデとバッシバ、ソロモンとシバ女王そしてジョセフ・スミスの時代には、それらの物語はロマンチックな愛情をとても強調して語られていました。1820年代のアメリカの物語では、女性はとても重要な役割を占めていたのです。近代のフェミニストの内で、当時の女性の役割を承認する人はいないと思いますが、女性は物語中に確かに存在し、話題にも挙げられていたのです。全ての英雄的好意は女性の為になされました。そして、それは良い女性の愛情を勝ち取る為になされたのです。それについてはトルバドールに感謝しなくてはなりません。ジョセフ・スミスの時代にはロマンチックな伝統が生き生きていたのです。

 

残念ながら、モルモン書の中では女性はほとんど登場しません。まれに登場しても、名前さえ記されていません。モルモン書の文化に実際に登場した女性の中で、名前の記載があるのはたった3人です。1人はニーファイの母サライア。次は売春婦のイサベル、3人目は召使いのエービシです。

 

物語にでてくる女王の誰一人として、名前を記されている人はいません。この本の著者の中で、自分の妻の事を書いたのはたった一人でした。そして、特別な役割を果たした人物として、物語に登場した女性も名前は記されていません。ニーファイは、荒れ野で彼の命乞いをしてくれた女性でさえ、名前も記していません。(沢山の人はこの女性こそが、ニーファイが最終的に結婚した女性なんだろうと言う推測に及んでいます。私の推測によると、レーマンは、ニーファイの妻になるべき女性の懇願は、おそらく無視したと思います。私に言わせると、彼の命乞いをしたこの女性こそが、レーマンが目を付けていた女性だったのではないでしょうか。私が考えるに、ニーファイがわざわざ彼女の名前を記さなかったという事自体が、これを証明していると思います。なぜなら、ニーファイは、お話にこの女性について記さなければならなかったのだけれど、その女性こそが、最終的にはレーマンと結婚した事を、上手に書けなかったのです。ニーファイの記録の中では、レーマンは悪人たちの王であり、レーマンの妻はその女王と言う事になるでしょう。ニーファイは彼の敵の高潔な行動について、あまり評価を示しませんでした。もちろんこれは証拠でも何でもありません。しかし少なくとも、なかなか面白い事ではあります。

 

モルモン書の中での女性の扱われ方は、1820年代の合衆国での女性の見られ方、扱われ方とは似ても似つかぬものでした。その点において疑問があるならば、B. H. ロバーツによって書かれた歴史書の中か、その当時に作られた教会歴史のドキュメンタリーで、モルモン女性の扱われ方をご覧になれば良いでしょう。

 

それはおそらく母親が重要な役割をもつモルモン書文化だけが、本の著者達の文化ではなかったのです、つまり、それはニーファイの文化ではありませんでした。二千人の若い勇者達が、母親に勇敢で正義に満ちた若者に育ててもらった事に対して栄誉を称えたところでも、彼らはレーマンの文化の産物である事がわかります。そして人々の改宗に女王が重要な役割を果たしたのも、霊に満たされて意識を失いたおれているレーマン人の王と女王を見せる為に、仲間のレーマン人に神に従ってほしいと願う女召使いのエービシが人々を集めたのも、レーマン人の文化の中での出来事です。モルモン書からレーマン人文化を取り除くと、ニーファイ人の歴史上の出来事から女性の存在が削除されてしまう事に、かなり動揺を覚えるはずです。これはジョセフ・スミスの文化ではかなり異邦な状況です。また、モルモン書の女性に対する態度は、他文化の歴史上では全く問題なく受け入れられるのですが、そのような文化は予言者の知るところの文化ではありませんでした。

 

聴衆への意識

しかし、最もあからさまな自白はとても小さく、ほとんど気づかれない様な選択箇所で見つかります。なぜなら、そこが、一番優秀な詐欺師でさえも真実を見せてしまうところだからです。彼は自分の住んでいる文化と違った文化を作り上げます。しかしながら、それは、彼が『考えつく限りのところで』しか違いません。モルモン書は、その作り話の作者が違った文化を創る事を考えた範囲以外は、アメリカのお話のはずです。モアの「ユートピア」、「ガリバーの冒険」、そして、ドーフォーの「ロビンソンクルーソー」は、作者の生きた時代のイギリス文化の光を浴びています。外国のどの部分でも、意識的にイギリスのそれから変えられていないところはみんな同じです。そして、違いについては明確に指摘され、解説されています。もちろんこれらの作品は、近代イギリス人の登場人物の視点で書かれているので、語り手は違いについて指摘するべきです。それにしても、はじめからもっと違いがあるべきです。異邦の国々がこれほどイギリス的であるというのは馬鹿げています。

 

他文化を発明した作者は、彼の作品をとても誇りに思います。自分の最高にすばらしいアイデアを誇示しないで、読者が読み落とさない様に、そのアイデアをプロットの重要点に仕上げる事をさけるのは、まさに不可能なことです。残念ながら、もしモルモン書が作り話であるならば、その作者は驚く程謙虚な人物です。とても懸命に出来た文化の違いは指摘されておらず、反対にそれは、多くの場合覆い隠されており、読者のほとんどはそれに気がつかないばかりか、1820年代のアメリカ文化との同様点として挙げられたりもします。

 

最も謙虚で目立ちたがらない著者でも、近代の聴衆を完全に忘れる事は不可能です。語り手が、その変わった文化の一員であっても、著者は近代の読者が、自分の提示している文化について理解する為に必要な説明を少しは入れるものです。著者は、自分がその変わった文化を発明したので、その違い、読者にとって理解が難しい点等をとても良くわかっています。彼は、文化の内容の説明がきちんとされるよう、取りはからうでしょう。その方法はさりげなくされるかもしれませんが、説明は入れられるはずです。

 

しかし、もしそれが本物の書類であるならば、そのような違いは、ほとんど透明に近いでしょう。なぜならば、著者は他の風習があるとは思いもついていないので、説明が必要だということを思いつかないのです。『アイ・ラブ・ルーシー』のエピソードでは、「この夫は一家の主であり、妻に子供に向かって命令するかの様にしゃべる権利があるのです」という解説を入れる為に、途中で番組をストップするような事はしません。彼らは、聴衆は既にその風習について知っていると仮定しているのです。リッキーがルーシーを叩く事について、聴衆に弁護する必要は無いと仮定しているのです。「ところで、これは伴侶虐待ではありません。」このような解説の必要性は、彼らには予想もつかないのです。

 

しかしながら、モルモン書は複雑な書物です。モルモンは彼の時代より、かなり前の世代からの書物を要約しているのです。1950年代から1990年代の間でさえも文化的な変化がある様に、モルモンが4世紀後半に執筆している際にも、例えば、それより4世紀位前のアルマの記録に、同じ様な文化的な変化に気づいている箇所もあります。ですから、文化についての解説がある箇所もあるはずです。しかしながら、たいていの場合は、彼は現代の私たちにでなく、当時の民にむけて違いの説明を入れるでしょう。モルモンが要約している、彼以前の時代の記録で、彼にとって変だと思う風習にはおそらく説明を入れているでしょうが、彼にとって正常だと感じた事柄については入れないでしょう。

 

さばきつかさ

それでは、モルモン書の著者は、1820年代のアメリカ人が理解するに必要だと思われる事柄について、彼らが理解できる用語で解説を入れているでしょうか?ほとんどそれは見られません。一目瞭然にそれがわかる箇所、人々がジョセフ・スミスの失敗点だと思っている箇所、をいくつか見てみましょう。例えば、モーサヤが王位を退き、さばきつかさが国を統治する時代が始まりました。そしてさばきつかさは「人々の声によって」選ばれました。これはモルモン書の評論家達に民主政体に住んでいたジョセフ・スミスが、アメリカの民主政治を理想の政体として証明する為に書いたのだと言われています。

 

しかし、もう一度考えてみてください。さばきつかさによる政治の時代と、アメリカの民主政体の類似点は、よく見ても外面的なものにすぎません。明らかに、さばきつかさによって政治が行われていない時代のモルモンは、彼の文化の人々の必要とするコメントを入れてはいますが、さばきつかさは、アメリカの民主政体とは大きく異なる点については全く解説がありません。さばきつかさは、ある意味で民衆により選ばれたのかもしれませんが、当時実際にどのように行われていたかを見てください。ジョセフ・スミスの時代には、行政権、立法権、そして司法権の組成分裂に関する世論が盛んでした。しかし、モルモン書の時代のさばきつかさは、人々の裁判をするばかりでなく、法律を行使し、税金を集め、軍隊を支える為にそれを使い与えます。彼は在来の法律を公使しますが、新しい法律が必要になると、それを作りもするのです!当時のアメリカのどこで、このような事が行われているのをジョセフ・スミスは見たと言えるでしょう。

 

このさばきつかさ達は、どのようにして選ばれたのでしょうか。本中では接戦の選挙戦についての記載はありません。反対に、さばきつかさ達は、自分の後任者を推薦していた様子です。少数の例外を除いては、普通さばきつかさは死ぬまでその仕事についており、それは、以前裁判官の職にあった息子、兄弟もしくは他の家族の一員に受け継がれています。アダムス家をのぞいて、ジョセフ・スミスの時代のアメリカには、王朝は存在しませんでした。

 

さばきつかさ達は、実際のところ、王の様な働きをしました。昔の政治パターンはこのときにも残っていたのです。後任の選び方が違っただけなのです。モルモンは、人々の声によってさばきつかさが選ばれるという違いを強調しましたが、その職が少数の貴族の血統内にとどまり、さばきつかさが君主的な権力を持っていた事に対しては、みじんの疑問も挙げていません。モルモン書の間違いとはほど遠い、これこそが、この書物が、1820年代のアメリカ文化から来たものではないことを明らかにしています。最高の詐欺師でも、さばきつかさ達をもっとアメリカ的にしてしまっていたはずーもしくは民主政治をにおわせる事自体をはなからさけていたーでしょう。

 

血統

モルモン書の中で特別な階級や政府の分裂がある時、それはジョセフ・スミスが慣れていたものとは全く異邦のパターンが反映されている様な気がします。ジョセフ・スミスにとって、社会的地位は、資産によって表される金銭の有無に基づくものでした。モルモン書の中でも、金銭は社会的区別の基本ではありますが、それは所有している土地などではなく、着物などで表されています。これはメソアメリカでは一貫して見られる事ですが、全くジョセフ・スミスの知っている習慣ではありませんでした。モルモン書の中で社会的争いが起こる時、それは経済的区分ではなく、血統に重点が置かれている様に思われます。カリブ海盆地でよく見られるパターンが、ヘイチのタイノがした様に、侵攻民族が、土着民族を支配する正式な支配階級として居座るパターンです。これがモルモン書の文化の中でも、隠されたパターンである様な気がします。ニーファイの民は、ゼラヘムラの土地のマラカイ人の上に優位を持つ支配階級でした。そして彼らの勢力が増す程に、次々に土着民族をニーファイの民の貴族政治下におさめていきました。ゾーラムの民も同じ事をした様子で、その為に、ゾーラムの民と貧困階級の分離は、とてもくっきりと書かれています。貧困階級はゾーラム人によって統治されていますが、彼らはゾーラム人ではありません。

 

アモナイハでは、アミュレクがニーファイの子孫である事を表明します。皆がニーファイの子孫であれば、それはそんなに重要な事ではないのですが、この事実はとても重要な様です。しかしながら、多分、「王の民」と「自由の民」の間の争いの中で、その区別は最も明確です。ジョセフ・スミスの評論家たちの間では、これがアメリカの独立戦争に基づいていると批評されていますが、似ているどころか、これは全く反対の出来事です。つまり、古い貴族が、新しいさばきつかさ達に、自分たちの最高権復帰を実力行使したのです。ジョセフ・スミスの知っているアメリカには、政権を一手に出来る、多数からなる相続階級は存在しませんでした。予言者が知っていた程度のイギリス文化の中にも、一グループが主な軍隊を組織し、民主的な統治ではなく、王権的支配を取り戻そうとする事はありませんでした。しかしながら、ゼラヘムラは、主な民衆の指示を命令できる程の、古い支配階級の親族の、明確な血統の持ち主でした。ニーファイ人の王は彼らの王権を放棄し、政治を選挙で選ばれたさばきつかさにゆだねました。しかしながら、土着民であるゼラヘムラの民は、これらのよそ者がニーファイの土地に来る以前、自分たちの王がいた事について覚えているのです。そして、誰が王になるべきかを知っていたのです。ですから、モルモン書が、この戦争を「王の民」と「自由の民」の争いと呼んでも、モルモン書にも書かれている様に、「自由の民」側からすると、もちろんそのように見えますが、「王の民」側からすれば、古代の地元の伝統と、王権を放棄し、降参した新しい統治階級間の争いに見えたでしょう。ニーファイの王はゼラヘムラでは3世代にわたってしか統治しなかったのです。

 

この視点はモルモン書の物語をさらに明確にし、その文化のパターンにも、よく当てはまる様に思います。一方アメリカの独立戦争には、この批評に用いる事の出来るアナロジーはないし、本中の物語にそぐいません。しかし、もしモルモン書が偽造書であれば、この異邦の社会的パターンは間違いなく指摘され、1820年代のアメリカの読者が見落とさない様に、明確にされていたに違いありません。その代わりに、それは、著者に単に当然の様に取り扱われており、そのせいで、異邦の社会的パターンに気をつけていない読者には、いとも簡単に見落とされる可能性があります。彼らにとって、そのような事は当たり前の事だったので、モルモンも、彼が要約した多数の著者も、部族と血統の関係について説明する事など思いもつかなかったのです。アナロジーについてはトニー・ヒラマンのミステリーをご覧になると良いと思います。彼の物語はアリゾナやニューメキシコのナバホ・インディアン保護区について書かれていますが、彼は、ナバホ民族はかつては独立した民族であったのだが、今ではアメリカ政府に定められた区域に住まわされているという事を、アメリカの読者にわざわざ説明する必要を感じてはいません。彼は、もちろんアメリカ土着民とヨーロッパからの侵入者の争いについても説明はしていません。同じ様に、現代のアメリカの都市の黒人の貧困を書いたエッセイや文書の中で、奴隷制度、解放、差別、アフリカンアメリカンの北部都市への移動、市民権獲得の為の苦戦等、全歴史を説明しているものがどれくらいあるでしょうか。

 

長期のアメリカの歴史では、もちろんこれらについて取り扱われています。しかし、それは時代によって文化が変化していったからです。実際、最近のめまぐるしい変化のおかげて、私たちは昔の歴史家に比べて、もっと沢山の事を説明する傾向にあります。それでも、アメリカの歴史上の重要な出来事を、ドライブインシアター、電子レンジ、そして小型計算機の記載なしに書く事が出来るでしょうか。私たちは、モルモン書の著者達がしたと同じ様に、当たり前に思っている事を無視します。キリストの誕生後、ニーファイ人社会が完全に破壊した時、人々は序所に、ニーファイ人、ヤコブ人、ジョセフ人という様に部族組織を形成しました。しかし、ニーファイ人が初めて自分の民族を国として形成してから、長年にわたり、政権を握っているニーファイ人についての記載はありますが、他の民族については全く記載がありません。私たちは、国民全てがニーファイ人だと思ったかもしれません。しかし、この民族組織は、ニーファイ社会が続いた600年もの間引き継がれ、法律制度が崩れた時代には、骨格になる社会組織を与えてきました。ですから、モルモン書を書いた詐欺師は、ヤコブ王時代の直前に、構想上この陰の社会組織が必要になるまで、みごとにもそれを持続させただけではなく、その文化圏の人物が書くのと同様に、わざとその事についての記載をさけたのです。

 

ゼラヘムラについての推測

ゼラヘムラの事情と、マラカイ人についての余談を述べたいと思います。ゼラヘムラ王により、彼の民族は、殆どがゼダカヤ王の最年少の息子の子孫であると、再々語られています。バビロンに忘れられ、エルサレムの捕われ人になった息子を探す為に、大変大掛かりで、全く納得いかない程の努力がされました。そして、それと同じくらいの努力が、ミュレクという善良なジェレド人の名前が、イスラエルの王の親族の中に現れる事の説明に費やされています。しかし、これは本当に必要な事でしょうか。

 

メソアメリカ文化では、支配階級は皆古代神の階級、もしくは少なくとも尊敬されるべき文化の王の家系でなければなりませんでした。メキシコバレーを統治した人々は全て、トルテスの子孫である事を証明しなければなりませんでした。ライバルのマヤの都市では祖先の人を出し抜く行為が行われています。想像してみてください、今まさに、勢いに満ちた危険なニーファイ人たちがグァテマラの高地からサイドン川の谷へと押し寄せんとしています。ゼラヘムラ王はモーサヤ王と交渉の真っ最中です。もちろん、モーサヤは彼に家系を表明し、ゼダカヤがイスラエルの王であった時代、リーハイとニーファイを神がエルサレムから導きだされた事を話します。

 

モーサヤにすると、彼の行為は、証を述べ、自分が選ばれた民の正式な血筋を引き継ぐ者である事の確認をしているにすぎません。セラヘムラにすれば、彼のしている事は、彼の持つ予言者の血筋は、ゼラヘムラの地の人々を統治し、ゼラヘムラに代わって王となるべき人物なのだと主張しているのです。そこで、ゼラヘムラはどうするでしょう。 モーサヤは、彼の祖先はイスラエルの王ではなかった事を認めます。そして、ゼラヘムラは、祖先の中で最も崇高な人物、ミュレクをあげ、自分こそがイスラエルの最後の王の息子である事を主張します。つまり、もし誰かが誰かを統治する権利があるとすれば、それはモーサヤとその民を支配する権利を持つゼラヘムラなのです。しかしモーサヤは、もしゼラヘムラとその民がイスラエル人の子孫であるならば、彼らはその言語や文字を忘れてしまっており、つまり、彼らは明らかに高いイスラエル文化から退化してしまっている事を、親切に指摘します。反対に、ニーファイ人は、誰も使う事がなく、ゼラヘムラの読む事の出来ないその筆記システムを保持してきました。彼らには、ゼラヘムラにはもちろん作り出せない様な、アメリカに到着して以来、毎年つけられた歴史の記録があります。

 

最後には、どのような交渉があったにせよ、ゼラヘムラは王権を放棄し、彼の民はニーファイ人の統治下に収まりました。 しかしながら、それであっても、ミュレクの話はとても重要な役割を果たしました。それによって、占領される民と武力で占領する民、という関係ではなく(実際は、基本的にそういう関係なのですが)、兄弟同士という思想の基に、民が合流しました。彼らは皆イスラエル人だったのです。ですから、誰もミュレクの話に疑問を持つ者はありませんでした。なぜなら、ゼラヘムラがモーサヤを統治するという本質的な目的は果たしませんでしたが、新しく合流した民族を統一するという重要な役割を果たしたからです。それは、完全な成功ではありませんでした、もしそうであったなら、後の王の民対ニーファイの自由の民の戦争は起こらなかったでしょう。しかし、ゼラヘムラの民はモーサヤの民を人数的に遥かに上回った事を考えると、ミュレクの話は、争いの中で、さばきつかさの結果的な勝利に大きく影響したと言えましょう。

 

もしこの想定が真実であっても、これは、モルモン書が何らかの形で偽造された事を含蓄している事にはなりません。モルモン書では、誰一人として、ミュレクの話が、誰かに啓示されたものだとは言っていません。その出所は、ゼラヘムラが、モーサヤとの交渉中に表明したという以上の何でもありません。モルモンや他の著者がそれを信じたということが、それが真実か偽りかを証明する事にはなりません。それは、単に、それがニーファイ文化の一部であった事を証明するだけの事です。そして、もし私の推測が正しく、ミュレクがゼダカヤの息子であった確率は、私がゼダカヤの息子かもしれない確率と同じくらいしかないのなら、ユダの最後の王の失われた息子の帰省を待ち望む、ユダヤ人の色々な伝統行事を作り出さずに、ゼダカヤが、バビロンの民から逃れたミュレクという名の息子を持っていたと言う、断然とした証拠があまりにもない状況の中で、この話の事実性を証明する必要もなくなる訳です。私たちは、リ−ハイやニーファイに与えられた準備や戒めなしに、主に導かれたアメリカへの移動の事実性を、証明しなくても良いのです。おそらく、三分の二のニーファイ人がユダの子孫だと言う事になるので(これは、私にしてみれば、少なくともヨセフとユダの枝のたとえ話をモルモン書と聖書に当てはめる、文字通りの意味をめちゃくちゃにされてしまうのですが)、私たちがアメリカをマナセとエフラエムの遺物ととらえている事実について、改めて証明する必要はないのです。

 

しかし、これはあくまでも推測であり、もしも私が間違っていて、実際に、ミュレクが主に導かれてアメリカに来ていたとしても、私は それによって、自分の証を失う事はありません!ただ、この点は考え、思いめぐらすに値する点だと思うのです。

 

 

 

即席都市

ジョセフ・スミスは、荒れ野にある新しい集落に住んでおり、それがどの様にして築かれたかよく知っていました。当時、そのような土地に住むアメリカ人は、集落、村、町、そして都市の違いについて熟知していました。彼らは、荒れ野が都市に発展するのに、どれだけ長い間の年月と、どれだけ沢山の開拓者が必要か、経験上よくわかっていたのです。

 

では、なぜ司令官モロナイはニーファイ人の境界線を守る為に、左右に都市を築くのでしょうか。この都市は、即時に構成され、ニーファイ人が中心地から住民移動することもなく、住民に満たされました。ジョセフ・スミスは砦という言葉をよく知っていましたし、凶暴な国からの防衛を試みる軍の司令官は、都市ではなく砦を築き、そこに駐屯部隊を置く事も知っていました。

 

しかし、メソアメリカ文化、特にマヤ人が都市を築いたジャングルの中では、普通、親族のすむ小さな村や集落がジャングルに点在し、領地拡大の野心のある王が、新しい領地に入り込み、独立点在する沢山の集落を一手に集め、それを都市とする事は、いとも簡単な事なのです。外部からの開拓者は必要ありませんでした。人々は、既にそこにいたのです。マヤの時代には、彼らは単純に集まり、 例えば神殿の建設のような公共の仕事を作ったのです。しかし、モロナイの場合は、防衛の強化だったのです。新しく集められた民族が市民兵になったので、都市の砦は必要ありませんでした。そして、多くの人々は、彼らを集め、彼らの為に都市を築いた者の統治を快く受け止めます。それは、彼らに更なる安全、アイデンティティー、さらに大きな国としての団結感、そして宗教は言うまでもなく、より高度な文化を与えました。

 

1820年代のアメリカ人は、誰一人としてこれについて知る者はありませんでした。しかしながら、司令官モロナイは、荒れ野を旅しながら、次々と、マヤ人がしたであろう、また実際にそうした様に、都市を建設してゆきました。そしてモルモン書の著者は、それについてなんら特別に取り扱う事もありませんでした。いとも、それが世の常の道の様に、当たり前の事として取り扱いました。もちろん荒れ野に外部からの開拓者なしに即席都市を築く事は可能です。モルモンにはそのように見えました。しかしジョセフ・スミスにはそう思えたでしょうか。

 

弁護士

モルモン書に弁護士がでてくる事は、沢山の人々に、これがアメリカの文化遺物である事の証明だと見られています。ジョセフ・スミスと彼の家族は、弁護士に対してあまり良い思いを持っていませんでした。そしてモルモン書にでてくる弁護士達も崇高な人物というにはほど遠い者たちです。

 

しかし、弁護士というのは、なにもアメリカ特有のものではありません。 ローマ人の間にも弁護士がいました。 ローマの弁護士はジョセフ・スミスの知っていたアメリカの弁護士に比べ、モルモン書に現れる弁護士にもっとよく似ていました。というのは、例えば、ゼーズロムの様な弁護士は、法律を駆使する事に長けている為ではなく、彼の説得力と人格的な影響の為に、弁護士として効率が高かったのです。彼は自分の保護下の者の為に、個人的に弁護します。ゼーズロムがあなたの側についていれば、あなたは勝訴を得るでしょう。しかし、それは彼が法律に長けているからではなく、彼の雄弁術と評判の権力のおかげで勝つのです。さらに、アルマとアミュレクの迫害も、原告としての弁護士達から発生している様子で、アルマとアミュレクは被告人弁護士なしで、自分たちの弁護を自分たちでしました。これはアメリカのパターンに沿っていません。

 

名前のつけ方

実際のところ、ゼーズロムとその他同様の人々がアメリカ的なところと言えば、ジョセフ・スミスが、ニーファイ社会でニーファイ人が行ったこの役割を、英語の「弁護士」という言葉に翻訳した事くらいです。そしてこれは全く正しい事です。もし、ジョセフ・スミスが、モルモン書の著者達が意味した事の純粋な知識を受けていたならば、彼はそれを英語に置き換えなければならなかったのです。ごくまれなケースですが、彼が翻訳しようとしていた思想の中には、それに同等する英語がなかったものもあり、そのためにクレーロムとクロムがあるのです。しかし、ほとんどの場合、その思想を伝えるに十分近い英語の言葉がジョセフ・スミスに来たのです。しかしながら、ほとんどの翻訳がそうである様に、これらの言葉は決して完璧に同一ではありませんし、そのような事は絶対にあり得ません。それは、最も正確な翻訳であり、完璧に正確な翻訳というのはあり得ないのです。ですから、ジョセフ・スミスが、アメリカの法的組織に似つかない法的組織においての弁護人に、「弁護士」という言葉を当てはめた事は、大変誤解を生じやすいのです。しかしながら、それでもそれは、予言者が当時与えられていた言葉の中では、最も正確な翻訳だったのです。

 

実際、異国風な翻訳に欠けているところが、いかにもジョセフ・スミスの本物性をあらわしています。サイエンスフィクション作家とその評論家は、ジェイムス・ブリッシュが「シュマープ」と呼んだものの長い伝統を理解しています。ブリッシュは、殆どのサイエンスフィクション作家は、異国の雰囲気を表わそうとする時に、ウサギの様な外見を持ち、ウサギの様に振る舞い、ウサギの様に扱われているのに、「シュマープ」と呼ばれるおかしな生き物を作り出すのは、大変おかしな事だと指摘しました。もちろんこれは馬鹿げた事です。見慣れない植物や動物のいる、新しい土地に移住する人々は、そのような新しい生物を呼ぶのに、自分達の慣れ親しんだ言葉を使います。ですから、アメリカへ渡ったイギリス移民が、バイソンを「バッファロー」と呼び、迷路を「インディアン・コーン」、後に、イギリスでは、ただの穀物一般を呼ぶ為に使っていた名前である「コーン」と呼んだのです。イギリス人は「十分類似したもの」の為にわざわざ新しい名前を付ける必要など感じなかったのです。

 

ニーファイ人達も確かにこのパターンに従い、新しいものに対し、古い言葉を使いました。ですから、もし実際のところ、モルモン書の時代のアメリカに馬がいなかったとしても、ヘブル語の『馬』という言葉が、馬の様に使われている動物に当てはめられていたに違いありません。更に、モルモンの書いた言語が表意文字言語であった可能性は多いにあり、そうなると、その実用的な動物の口語名が何であるかは、ニーファイ人の著者達が、その動物を古い『馬』という観念を表すのに用いる事に同意さえしていれば、あまり問題ではありません。ですから、モルモン書に『馬』という名前が現れる事は、バッファローではなく、バイソンしかいない国で、『バッファロー』という言葉が使われている事と同じで、そんなに驚くべき事ではありません。

 

しかし、おかしな事に、サイエンスフィクション作家達はその事について理解しておらず、未だに、不要で、殆どの場合発音も出来ない様な、異邦な、もしくは「モダン」な、沢山の名前を、普通のものにつけています。例えば、コンプピューターが世に現れて2世代になりますが、未だにそれを「ピューター」と呼ぶ必要を感じた人はいないのに、私は、未だにコンピューターにどうしょうもなくすばらしい名前をつけている新しいサイエンスフィクションを見受けます。サイエンスフィクション作家がデジタル形式に読まれる未来の本を見せたい時、それにつける素敵な名前を考えだします。彼にはそのような未来の本が、実はただ「本」としか呼ばれないであろう事に気がつかないのです。私たちが中に入って運転する乗り物に名前を付けようとしたとき、自動車は、電車とはかなり違ったものでしたが、結局私たちはそれを「車」と呼びました。もちろん英語は重複を好む言語なので、『自動車』という言葉も生き残りました。しかしどれくらい頻繁に子供達を自動車に乗せると言うか考えてみてください。よく使われる言葉は、既に存在していた言葉であり、それは新しいものに当てはめられました。そして私たちアメリカ人は新語の発明と、新しい言葉の生みの親である技術的な開発に、慣れ親しんだ民族です。他の多くの文化は新しい言語にそうオープンではありませんし、借りたり、発明したりする事に、そうオープンではありません。彼らは新しい状況に古い言葉を当てはめがちです。

 

私たちサイエンスフィクション作家は、代々に渡り、私たちを導いてくれる伝統があるにも関わらず、未だにそれが分かっていません。モルモン書の作者もしそれが偽造物であるならばー正しく出来た事が、それを考慮に入れていない人々にとっては、かえって間違っている様に見える場合があっても、それを正しくする事が出来た様です。これは重要な点です。この国の傾向として、異邦文化を作り出そうとする語り手は、その文化がいかに変わっているかを表す為に、いろいろな新しい言葉を作り出します。しかし、モルモン書の著者は、この統一的とも言えるパターンに従いませんでした。代わりに、彼はこのような事を職業としている者でさえも、普通正しく出来ない様な、とても洗練された事をしています。

 

もちろん、モルモン書を作っていた詐欺師はとてもナイーブで、自分が異邦の社会を作っているという事に気が付かなかったので、新しい名前を付ける事などしなかったのだと反論されるかもしれません。しかしそうでなかったのは一目瞭然です。もし彼がそんなにナイーブだったのなら、始めから、彼はそのような異邦の文化を作る事すらしなかったでしょう。彼のニーファイ人とレーマン人は、文化的に、アメリカ白人と北アメリカインディアンであったでしょうが、彼らは明らかにそうではありません。

 

大霊

カウボーイとインディアンの話になりますが、どうして1820年代の見解のアメリカンインディアンがもっと見られないのでしょうか。ハッピーハンティンググラウンドはどこなのでしょうか。アメリカンインディアンのテントや小屋はどこなのでしょうか。モカシン靴、鹿の皮、カヌー、そしてピースパイプはどこなのでしょうか。どうして村ではなく都市が出てくるのでしょうか。大きなインディアン塚は何処へ言ったのでしょうか。早く言えば、ジェイムス・フェニモア・クーパーは何処なのでしょうか。

 

北アメリカインディアンに対する1820年代の白人の視野らしきものが現れている唯一の箇所は、ラモーナイとアンモンが大霊について話す場面です。これは単に、ラモーナイの『神』という言葉を、ジョセフ・スミスが、もちろん北アメリカインディアンの信仰を承知していて、この様に翻訳したにすぎないのかも知れません。ですから、これは単純な言葉の選択にすぎないかもしれません。しかし、私は、ラモーナイが信じた神のコンセプトに対する、公平な翻訳なのではないかと信じています。大霊は他の神々の上に立つ大神であるという、メソアメリカの信仰と大変良く合意しています。

 

交通手段

モルモン書では、誰も何にも乗りません。考えてみてください。私がここまで飛んで来た、という時、私はいちいち飛行機で来た事を説明しません。しかし、私は、確かにここまで飛んで来たと言うでしょう。ジョセフ・スミスの時代の人々は、どこへ行くにも乗りました・・・馬かワゴンにです。彼らが長旅を歩いてしたときは、そのように言います。なぜなら、それはとても大変な事だからです。しかし、モルモン書の誰として、どこかへ乗っていく人はありません。ジョセフ・スミスは、作り物のニーファイ人とレーマン人を歩かせなければな」

らない事を知っていたのでしょう。また、どのようにして、彼らが歩いて旅をしている事について指摘する事を避けられたのでしょうか。

 

ネットワークと人間関係

今日、私たちは仕事や学校を人間関係のネットワークに利用しています。古代ローマでは、それは後援者と顧客でした。モルモン書では、それが数世代に渡る親族グループでした。そのはっきりとした跡が見られるのが、アミュレクと予言者の家族の、長年にわたっての扱われ方です。血族は、最初に表明する人間関係でした。家族は統治するにふさわしいかを見る最初の物差しでした。再度申しますが、これはジョセフ・スミスの習慣ではありません。家族は1820年代のアメリカでも重要でしたが、身分証明の物差しや、ネットワークの為ではありませんでした。その代わりに、人々は、政党やフリーメイソン等の社会組織を通して人を知り、関係を築いていきました。殆どの人脈の源は、雇う側が地位の高い、従業員と雇用者、又は、医者や弁護士などの様に、雇われる側が高い地位を持つ、依頼人と専門家という関係です。

 

それでは、モルモン書の中のそのような商業的な関係は何処でしょうか。ジョセフ・スミスは少年時代、常に雇い農家の雇われ農民として過ごしました。しかしモルモン書の中で唯一見られる、誰かが誰かの為に働く場面は、アンモンがラモーナイ王のところへ行って働く場面ですが、そこでさえも、ジョセフ・スミスが知っていた様な、報酬の為に雇用者が雇うと言った関係を代表する様なものではありませんでした。弁護士は報酬を支払われてはいましたが、彼らが開業して、飛び入り客を受け入れる様な場面は見受けられません。そして商業らしきものといえば、それくらいしかありません。ジョセフ・スミスの知っていた、家族外の人間関係のパターンは、モルモン書の中には響いていません。

 

メソアメリカでは、もちろん商人を雇うという事はありませんでした。皆が全ての仕事を行いました。畑で働く時期が来ると、労働階級の人々は全て畑に出て働きました。公共事業をするときは、労働階級の人々は全てそれをしました。同時に、支配者はそれを監視し、聖職者は儀式を執行し、学問と研究を進め、記録を続けました。人々が、石に彫り物をしたり、芸術品を作ったりと、専門化した時は、王室からの命令があった時だけで、報酬の為のフリーランス業ではありませんでした。中間階級もなければ、報酬なしの労働階級さえありませんでした。そして、これがモルモン書に見られるパターンに匹敵する文化です。レーマン人がリムハイ王の民を制覇した時、レーマン人の王は彼らを他の仕事に就けたりはしませんでした。代わりに、収穫の大半を取りあげ、平穏を守る為に見張りを備えました。アルマの民を制覇した民は、監督を置きましたが、彼らの社会組織を変えはしませんでした。なぜならば、彼らのパターンは、既に一緒に畑で働く事でしたから、普通にしている仕事を引き続きすれば良かったのです。唯一の違いは、今までは自分達の支配者が仕事を率いていたのに変わり、レーマン人の見張り、もしくは監督が、彼らが怠けたり、盗んだり、荒れ野へ逃げたりする事のない様に見張る事でした。

 

どのモルモン書の都市でも、一般市民はいつでも簡単に集められた様子です。アルマがゾーラム人に統治されていた貧困層に話そうとするとき、彼は一軒一軒家を回ったり、いろいろな仕事場に訪ねてゆく必要はありません。彼らは、既に一緒に働いているのです。彼は、ただ皆の注意をひき、話すだけでいいのです。しかし、ジョセフ・スミスは、モルモン書の中の仕事と彼の時代の仕事との違いについて、何一つ指摘する事はありませんでした。なぜでしょうか。それは、彼は他の仕事の組織の仕方があるとは知らなかった為、それを指摘する事を思いもつかなかった著者によって書かれた本を翻訳していたからです。再度申し上げますが、モルモン書は、誰かが異邦っぽい文化を作り上げて書いた本というよりも、記載のある文化からきた本物の記録書の様に見えます。

 

卒倒

ジョセフ・スミスは、何処から人々が感情を表すのに卒倒するなどという発想を得たのでしょうか。 特に男性がです!それは1820年代では想像もできない事です。男が卒倒し、死んだ様に何日も横たわる?それは、ジョセフ・スミスの社会のどんなパターンをも反映しません。それどころか、それは恥ずかしい事ではないでしょうか。私たちは卒倒する事をできる限り避けますし、そうする事を祝ったりもしません。ところが、メソアメリカ分化は、こと宗教的な体験には特に、感傷的なストレスに対して、人々が卒倒するという事はきわめて日常的な事でした。

 

王と副王

そして、 王である健常な父親がありながら、息子が王になるという仕組みは何なのでしょうか。これは、王の息子は他の土地で王になる事のできたマヤ文化では、完全に説明がつきます。この副王制度は至る所にあります。しかしジョセフ・スミスの知っていた王制度はヨーロッパのものであり、ヨーロッパでは、王の息子が王位を主張すれば、その先に来るのは市民戦争の他に何もありません。もし、ジョセフ・スミスが偽造本を作っていたのなら、どうしてわざわざ周知されている王制度のパターンから、これほど大きくかけ離れたものを書いたのでしょうか。そして、その過程で、どうやってこれほどまで、メソアメリカ文化にぴったりと当てはまる様に仕向けることができたのでしょうか。

 

書き方

 

なぜ、このような要素は、殆どの評論の的にならなかったのでしょうか。それは、本文がそれを強調される様に書かれていないからです。含蓄されているものから、それらの要素を見いだす事ができるからです。もちろん、含蓄からしか分からないのだから、そのような要素は存在しないのだ、と反論する方もあります。しかしながら、それらを他の文化の記録と比較するとき、そのような文化的違いが絶対に存在する事は明らかだと思います。抜けているのは、ジョセフ・スミスが偽造過程に入れるはずであったものだけです。

 

著者の関心

私たちがあれば良いなと思う解説の多くが、モルモン書には有りません。例えば、人々が何を飲み食いしたかという事について、誰も何も言っていません。裕福な人々はきれいな着物を着ていたと有りますが、実際どのような着物だったかは説明されていません。人々が集団で働いていた様子は分かりますが、その日常の具体的な仕事等は記されていません。なぜでしょうか。それは、そのようなことは歴史家にとって、また彼の記録の目的にとって重要な事ではないからです。

 

モルモン書は、著者の修辞学上の目的から一歩たりとも踏み外す事はしていませんが、同時に、ニーファイやヤコブは、モルモンやモロナイと同じ目的で書いている訳ではありません。そのため、彼らはそれぞれ違った種類の情報を記載しています。ニーファイは、戦いについての詳細を飛ばし、あまり多くを語りませんが、モルモンは、軍事だけでなく、霊的な面に置いても長けた英雄司令官の話をする時、数々の会戦の詳細を記しています。そして、その会戦略が詳細に記されている司令官こそが、彼が息子の名前にまでした司令官だった事は、ここに記載するに値すると思います。もしかしたら、ギドギドーナイの会戦も、モロナイの会戦に勝らずとも劣らないものであったかもしれませんが、その詳細に付いて、私はちは知る余地もありません。

 

ですから、モルモン書は、著者の修辞学上の目的だけでなく、彼らの個人的な関心や気にかかっている事等をも反映しています。彼らは、お互いに違っているべきでありますし、実際のところ違った人々でした。モルモンほど軍事事情に関心を持った著者はいませんでしたし、彼以外、それに付いて記した人も有りません。そして実際のところ、ジョセフ・スミスの書いた書物の中で、彼が軍事的ストラテジーや成果に興味があった、と少しでも思わせる様なところは全くないという事は、ここで指摘する価値があると思います。ノブー軍団を組織して、自ら制服を着た時も、彼が戦略を練ったという様な証拠は、何処にも有りません。しかしながら、彼がモロナイやヒラマンの戦略を作り出した作者であるならば、特にそのような会話があって当然の情勢であった初期の教会歴史において、彼が軍事について考えたり話したりする事がなかったというのは、誠に考えられない事です。例えば、教会の中で、軍事について反対をしたサンプソン・エイバードという人物がいます。しかし、ジョセフ・スミスはその中の一人では有りませんでした。私には、その事からも、彼はアルマの著者であるはずがないと思えるのです。私は沢山の本を読んできた結果、作者は、自分の興味の有る事について、何度も書くという事実を知っています。モロナイの会戦程の詳細は書かないにしても、モルモンは、何度も軍事について記していますが、ニーファイやモロナイは、軍事の詳細は『絶対に』記していません。彼らはそれにつて関心がなかったのです。ジョセフ・スミスも関心がなかったが、モルモンは関心が有り、それが彼の書物に反映されているのです。

 

感情の表現

サイエンスフィクションが始まったばかりの頃、作者が話を止めて、今から話の中で紹介しようとしているかっこいい新しいサイエンスについて説明する事は、よくある事でした。ロバート・ヘインレインが現れるまでは、解説を話のアクションの中にさりげなく編み込むというやり方はされていませんでした。この典型的な例は、登場人物が部屋を出るとき、ヘインレインは、「ドア張開した」と書きました。張開ドアの背後にある、粋な技術の説明はまるでなく、その新しい技術をあたりまえの事の様にとらえるかのような、簡単な陳述のみです。

 

これはサイエンスフィクション作家に、話の進行をさえぎる事なく、大量の新案物を紹介できる様にしてくれた、画期的な進歩でした。これは、読者が新しい読み方になれる必要がありましたが、今では、話の中の変わった事は、全て作者が直ちに説明を入れる代わりに、読者が、現状把握を休止状態にし、新しい情報を待ち望み、探しながら、少しずつ、現在とはどれだけ違った社会であるかを、彼らが描いてゆきます。

 

しかしながら、このようなさりげない解説の方法は、サイエンスフィクションでのみ有効なのです。サイエンスフィクションに詳しくない主流作家、例えばマーガレット・アトウッドやゴア・バイダル等が、この分野に足を踏み入れる時、彼らは解説をどのように入れてよいか、まるで見当がつかない様です。彼らは、アクションを止めて説明を入れるという方法に逆戻りしてしまいます。そして、これこそが、モルモン書の著者に私たちが期待するべき事です。しかしながら、ここで、私たちサイエンスフィクション作家の解説方法も、実際に異邦文化からくる記録上では正しくない事を、指摘しておかなければなりません。それは、読むには簡単でスムーズですが、それでも、まだ依然として変わっている事があからさまになります。ヘインレインは、彼の読者がドアが張開することを予期しておらず、それを未来の技術アイテムとして認識すると知っていたから、わざと「ドアが張開した」と書いたのです。しかしその文化内の人が、誰かが部屋を出て行くシーンを書く時、ドアの事などまず表さないでしょう。ドアは特に何も特別なものではなく、わざわざ指摘するには値しないので、「彼は去った」で十分でしょう。そして、著者が縮小要約版を書いているのなら、なおの事、異常でない事について、不要な説明を入れる為に、彼の時間を無駄に使ったりする事はまずないでしょう。ですから、洗練されたサイエンスフィクションの記述方法でさえも、モルモン書には適切でなく、実際のところ、それは使われていません。

 

モルモン書のすばらしいところは、話を途中で止め、解説を入れている部分がたった一カ所しかありません。何処だか覚えていますか。それは通貨システムに関するところです。弁護士のゼーズロムが書いているところで、突然話が止まります。なぜでしょう?それは、通貨はゼーズロムとモルモン間の300−400年間でもちろん変わっていたからなのです。『それ』はモルモンが認識したであろう文化の違いでした。そして、予想通り、他のナイーブな著者と同じ様に、この彼の習慣でない事実を説明する為に、話を止めたのです。しかし、彼の方法に注目してください。注釈がまるでありません。どうやらその言葉や列記されている通貨価値は、AD4世紀においても何らかの意味を持っていた様です。彼は私たちにセニンで何が買えたかとか、1820年代の人に理解のできる形での説明はなされませんでした。それは、モルモンが、この通貨システムの要素は当たり前のことと判断したからです。ですから、この唯一の解説部分も、まさに異邦文化の著者がする様になされ、ましてや1820年代に関連する様な注釈はまるでありませんでした。

 

構成

モルモン書の組織立てはとても不思議です。モルモンが書いた各本(モーサヤ、アルマ、ヒラマン、第3ニーファイ)は、殆どの時間を、本が名付けられた人意外の人について書くのに費やされています。モーサヤ書はベンジャミン王について述べ始め、それから残りの殆どを、ノア王、アビナダイ、リムハイ王、そして弟のアルマではなく兄の予言者アルマについて語り、その中でも本の終わりの方には、彼の息子のヒラマンに焦点を当てています。しかしヒラマン書はアルマの息子のヒラマンについてではありません。それは、ヒラマンの息子のヒラマン・ジュニアについて書かれています。そしてヒラマン書の中頃には、今度はヒラマンの息子のニーファイについて書かれている事に気がつきます。しかし、第3ニーファイは、そのニーファイの事では全くなく、彼の息子のニーファイの事が書かれています。

 

なんともおかしなパターンだと思われませんか。一人の人の名前をとって名付けられた本は、実はその息子、もしくはその子孫について書かれているのです。そして、その本が息子もしくはその子孫の名前から命名されていると思えば、実は、それはたまたま同名の子孫のそのまた子孫から名前がとられているのです。このパターンはモルモン自身の名前を付けられた本でも続きます。そして、その本は、後に、自分の名前の載った本を書くとは思いもよらなかったと述べている、彼の息子モロナイによって完成されています。彼は父の名前をつけた本の最後の部分を仕上げる事に対して、全く意義はなかった事でしょう。

 

私にはこれがどのような意味を持つのか見当もつきません。私は、この点は、全く1820年代のジョセフ・スミスの文化では理解のできない現象なので、単にこれを指摘しただけです。なぜ聖典のモデルになるものに旧約、新約聖書だけしか持たなかった1820年代のアメリカ人が、自分の聖典をこのような構成にしたかを洞察するのは、とても困難な事です。ルツ書はルツについて書いてあります。イザヤ書はイザヤの記録が書かれ、そこには、ヨナの話もエゼキエルの話も、一つとしてありません。福音は著者の名前からとってありますし、マルコはマタイのお話の中頃から始まったりしません。もし、彼が1820年代のアメリカ人に受け入れられる様に偽造本を作ろうとしていたのなら、どうしてジョセフ・スミスは聖書の1パターンをとり、それに従わなかったのでしょうか。なぜ、このようなおかしな構成を考えついたのでしょうか?

 

そして、どうしてジェレド人を入れたりしたのでしょうか。私はここでジェレド人の要約のイザヤの要約であるモロナイの要約の、莫大な複雑性を探求する様なことはしません。ヒュー・ニブリー氏が、私がそれについて言える事よりも、数段上の本を書いておられます。もし『World of the Jaredites』という本を読まれたら、イザヤ書が、どんなにモルモン書の文化、そして、ジョセフ・スミスが知っていた文化から、驚く程違った文化に満ちているかが分かります。

 

人生を変える本

 

今日、メソアメリカ文化に関する知識に通じ、偽造記録の作製法に通じている最高のサイエンスフィクション作家を雇って、モルモン書の様なものを作ろうとしても、すぐにでなくとも15−20年もすると、明らかに偽造物だと分かってしまうでしょう。本の背後にある文化的な仮定が、その本がいつ頃書かれたかをさらけ出してしまうでしょう。しかしモルモン書は、それよりももっと長い間世に出ています。そして、私はサイエンスフィクションがどのようにして書かれるか熟知していると自称していますが、この本の中には失敗が一つとして見当たらないのです。その本を探求したいだけしてください。私はしてみました。そして欠点が一つも見つからないのです。しかし、その本が1820年代に作られたものなら、継続して失敗のパターンが見られるはずです。ただ一つの例ではなくて、あの長さの本ならば、何千カ所の例が見つかるはずです。しかしそれはありません。

 

それでは、これで私がモルモン書が真実であるという証明をしたという事になるでしょうか。分かりきった事ですが、そうではありません。あなたは、ジョセフ・スミス、又はモルモン書を書いた誰かは、歴史上で嘘の異邦文化の偽装記録を作った最も偉大な、誠に運の良かった人だとする事ができます。モルモン書が重要である唯一の理由は、これが人生を変える本だからです。

 

真理、つまり、重要なモルモン書の真理は、信仰からくる霊を通してしか理解されません。もしその本を信じないのなら、それはあなたの人生を変える事はありません。私の申し上げているのは、それが本物の文化遺物であると信じるのとはかけ離れた方法で信じる事です。あなたは、それをあなたの人生を導く為にあるものとして、信じなければなりません。ですから、私はその本を証明する事には、あまり関心がありません。ここでこの本を証明した訳ではありません。唯一の証明は、あなたがそれが唱える教えを、その本が乳鉢となり、そのすべてを支えている教会に参加して行うとき証明されます。

 

しかし、私はこの本をただ他の知恵に満ちた本として見るだけでなく、他の時代から来た、本物の文化遺物として見る事も大切だと思います。私たちの様に、既にこの本を信じ者達は、この本を文化の生産物、それぞれの思想と心の賜物として研究しなければなりません。それをする時に、私たちはその本が何の為にあり、どんな意味を持つのかをもっと良く理解する事が出来ます。

 

私は学者ではないので、学者としてではなく、人間一人一人の心と思考を推測し、できる限り正直であろうと努力する人々の話を語る事を仕事とする一人の人間として、モルモン書を見識する--それが、私が『ホームカミング』の本でしようとしている事です。他にも、大切で利用価値の高い情報をこの本から得る為に、この本に取り組む方法は何千とあるでしょう。そして、私達がそういった方法をとるを希望します。なぜなら、多くのモルモン教者がしている様に、単にこの本を証明用の書類としてしか扱わないならば、私たちは重要な点を見逃し、このすばらしい聖典の価値を自らないがしろにする事になるからです。

 

ジョセフ・スミスは、彼の語彙的な欠点や理解をも含め、私たちがそれを読む時に、自分の声が響く様にとモルモン書を書いた(翻訳した)のではありません。モルモン書の原本を書いた人々も「I love Lucy]の作者の様に、必ず自分達の仮定や文化をあからさまにしてしまう、落ち度のある人間達です。しかしあのテレビ番組の作者とは違い、予言者は、主の導きの下で、私たちへの愛情からそれを書き、翻訳しました。それらの男達が誰なのか、どんな文化の基でそれを書いたのか、私たちのそれとどう違うのか、そしてどれだけ良く似ているかを見つけ出す事は価値のある事だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 
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